
ブルーリッジギターとの出会い
笹部益生
■Chapter 1
僕の愛用しているブルーリッジギター、そのドレッドノート・シリーズの中の一番安いモデルであるBR-40と初めて出会ったのは2003年秋のことでした。
僕がそれにお目にかかったのは、僕の地元の横浜で開催された「2003楽器フェア」会場のアメリカの弦楽器メーカーSAGA社ブース(こちらにそのときの写真があります)でのことでした。
その日、僕は会場内のイベントでアメリカのブルーグラスミュージシャンであるSandy
Rothman氏と一緒にステージでの演奏を依頼されていました。僕は愛用のギターを2本持参してそのイベントのステージで弾くことにしていました。
会場内を歩いていると、SAGA社のブースでのジャムセッションに遭遇し、一本の見慣れぬギターを手渡され、試奏するように促されました。そのギターのことは全く知らずに先入観なしに弾いてみました。そのコンセプトもスペックも、ましてやびっくりするほど安い価格のことは知らずに弾いてみたのです。
僕の愛用しているブルーリッジギター、そのドレッドノート・シリーズの中の一番安いモデルであるBR-40と初めて出会ったのは2003年秋のことでした。
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笹部益生(ささべますお)
1949年横浜生まれ。高校時代よりブルーグラスに親しみ、日本大学では西部音楽研究会に所属する。1974年、Apple
Seedで渡米し本場のブルーグラスフェスで演奏。「The Japanese Bluegrass Band」、「ブルーサイド・オブ・ロンサム」で活躍中。ギターとボーカルのワークショップを開講 |
楽器フェアでは、いろいろな展示ブースからあらゆる楽器の音が騒音のように渦巻いています。その音の洪水の中でも自分が弾くこのギターの鳴りが只者でないと感じることができました。新品であるのに、6弦や5弦のベース音が腹にドーンと伝わってきたのです。
「あれ、これ何?」と驚いて、SAGA社のブースに居合わせた若いアメリカ人スタッフに思わず語りかけてしまいました。SAGA社のスタッフは、社長のRichard
Keldsenをはじめ、皆ブルーグラスを演奏します。つい先ほど別のブースで彼らとジャムセッションをしたばかりなので、気軽にいろいろと聞いてみました。そしてこのギターのスペックがとんでもない奴だと知ったのです。
すかさず僕は、今出会ったばかりのこのギターを持ってSandy Rothman氏とのイベントのステージに臨みました。
ブルーリッジギターの特徴は、まずは、ボディのブレーシング構造がマーティン社の戦前モデルと同じということ。ということは、スキャロップでフォワード・シフトだということ。実はスキャロップ・ブレーシングだとよい音がするというのは知っていたので、大昔にアメリカで400ドルで買ったマーチンD-28のサウンドホールから手を突っ込んで、ナイフでブレーシングを削ったことがあったのです。そうしましたら、これだけでも効果てきめん、低音が俄然唸るようになったのでした。そんな大昔のことを思い出しました。
しかしその後、時がそんなに経たないうちに、そのギターは盗難に遭ってしまい、その次に手にしたギターはマーティン社に長年勤めた職人が自分のために引退記念に製作したD-45のカスタムモデルでした。その次に手にしたギターは1956年のD-18でしたから、楽器つくり素人の僕が手探りでブレーシングを削るなんそんな無謀なことはとてもできませんでした。
しかし、マーティンの戦前モデルへの憧れはずうっと引きずっていましたが、今となってはとても高くなってしまい、文字通り高嶺の花でとても買えたものじゃありませんね。
その、僕とブルーリッジギターの出会いとなった一番廉価版のブルーリッジギター(BR-40)がその思いを叶えてくれたのかというと、残念ながらそこまでの満足は得られませんでした。BR-40のスペックを確認してみると、ボディのトップはシトカ・スプルースの単版ですが、サイドとバックは合板でした。それでも質のよいマホガニーの合板を使用していることがわかりました。そして、ナットとサドルはプラスティックだし、弦を留めるブリッジピンもプラスティック、いやセルロイドに近いかな。
でもこのギターの唸りだけは買いなのでした。今まで弾いたあらゆるギターの中で一番でかい音がします。ただ音色は気にすれば多少がさつなところや、サスティーンがちょっと足りないところがあり、一度市販のエボニー(黒檀)のブリッジピンを買ってきて付けてみようと思いましたが、穴が狭くて不可能でした。
■CHAPTER 2 「ブリッジピンとロッド調整」へ
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